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1 2007年 09月 20日
旅の回想録、カリフォルニア紀行(2007年夏)続きです。
-- 2007年7月26日(Thousand Island Lake /Ansel Adams Wilderness, CA) 昨夜の頭痛は、朝になるとすっかり退いていた。水を汲みに湖へ。他のキャンパーたちもフィルターは使わずに、そのまま飲んでいるようだったので、僕もそのまま使うことにした。だいたい湖と言ってもとても小さく、この上流には岩場と氷河しかないのだ。 昨日の残りのカレーを食べながら、あたりを見回していると、昨夜のカサカサ音の正体がわかる。動き回っていたのはマーモットだった。どうやらここはマーモット君たちのエリアのようで「何してる?」といった感じで、テントのまわりを行ったり来たりしていたのだ。「悪かった、悪かった。」とテントを片付け、トレイルへと向かった。 すぐに急な上りとなる。少し歩くとキャンプしていた湖が見下ろせるようになった。湖と思っていたところは、どちらかというと川と言ったほうが正しく、流れが留まった場所といった感じだった。トレイルには雪融けの沢がいくつか交差していて、そこで顔を洗い喉を潤す。雪融け水は冷たく美味しかった。 ![]() 坂道を上がりきると今度はちゃんと塞き止められている湖が現れる。湖畔には高校生くらいのグループが、釣りのためのキャンプしていた。どの子達も釣り竿を片手に水際に立ち、いい笑顔をしているのが印象的だった。こちらはと言えば、今日も重い荷物に苦しみながら、ドノビューパスへのガレ場をゆっくりと上っていくしかない。標高3000メートル以上の高地というのも、ペースが上がらない理由だろうか? とにかく自分のペースでゆっくりゆっくり何度も休憩しながら、少しずつ高度を稼いでいった。 パックトレインツアー(乗馬でハイクするツアー)と擦れ違う。山道に慣れている馬たちなのだろうが、急坂でさすがに慎重になっているようで、カウボーイたちは大きな声を互いに掛け合いながら、腰が引け気味になっている馬たちを率いていた。 ![]() 午後2時頃、ドノビューパスへ到着。荷物が軽く高度にも順応していれば、もう少し楽に来れたと思うが、とにかく標高で約3300メートル。今回のルートの最高地点に立つ事ができた。山頂にも小さな湖があるが、地図を見る限り特に名前は書いていない。なので勝手に「ドノビューレイク」と名付けることにした。 ![]() ここでゆっくりと休憩。他のトレッカー達もここで寛いでいた。昼食をとっていると、マーモットが何匹も集まってくる。他のところでは、人を見るとすぐに逃げてしまう彼らだったが、ここのマーモット君たちは全く人を怖れないようだった。「可愛いなあ」と最初は思っていたが、どうもトレッカーから餌をもらうことを期待して集まってきていることが判る。シエラネバダの山の上でも、ルールを守れない人が結構いるのだということだろう。確かに可愛いし、パンなどが好物のようなので、餌をあげてしまいたくなる気持ちも判らなく無い。でもそれを覚させてしまったら、彼らの野生は失われてしまうのだ。似たような覚えがあって、何年か前に上高地の大正池や梓川の側に人が立つと、すぐに水鳥たちが集まってきた。最初はなぜ人を恐れないのだろうと感心していたが、近くで観光バスから下りて来た人たちが餌をあげようとお菓子を水面に落とすのを見て、随分がっかりしたことを思い出した。 ![]() ドノビューパスでヨセミテ国立公園からアンセル・アダムス・ウィルダネスに入る。アンセル・アダムスとは、ヨセミテやシエラネバダの素晴らしさを世界に紹介した有名な写真家の名前である。文章でヨセミテの自然を守ったジョン・ミューアと並ぶ、このエリアの偉人のひとりだ。 峠を境に風景も大きく変わる。ライエルバレーは緑豊かなところだったが、あまり木がなく、岩だらけの世界が続いていた。それでも、下った谷間を歩いていくと、ところどころに水の流れやちょっとしたメドウがあり、高山植物の美しい花がたくさん咲いていて、岩山とのコントラストが素晴らしかった。 ![]() 花の名前を覚えるのが苦手なbackpackerなのであるが、今回はひとつだけ(!)覚えることができた。橙がかったとても印象的な花で、Indian Paint Brushという。「インディアンの絵筆」という名の通り、鮮やかな絵の具をつけた筆のような花弁を持っている。泉や小さな流れのまわりに自生していて、本当に美しい絵を見ているかのようだった。 柄にも無く花々の写真をとっていると、昨日会ったジョシアとモニカが追いついていた。彼らも「スゴイ、キレイ!」と日本語で言って、互いに記念写真を撮ったりした。 ![]() ![]() 谷を下っていくと、木々や緑も増えていき、同時に谷間を囲む鋭い岩の峰々も近づいてくる。地図を見て山の名を確認するような余裕は無く、進行方向の右側に見える残雪のある7つの岩峰を「セブン・シスターズ」、左側の急峻なピークの集まりを「テンピークス」と勝手に呼ぶ事にした。また、ここはいくつかの小川が集まり、岩場に生えた松林の間を流れていく気持ちの良い場所で、「松の廊下」とネーミングされることなったのであった。全く勝手なのである。 ![]() ![]() ![]() 「松の廊下」を過ぎると、トレイルは沢沿いから外れ再び上りに変わる。このあたりで日もかなり傾き、疲労も溜まっているが、まだ止まるわけには行かない。自分の計画ではこの先のサウザンドアイランドレイクまで行く予定なのだ。しかし、アイランドパスという手前の峠で、かなり辛くなってきていた。 アイランドパスを息を切らしながら上りきると、そこには夢のような風景が広がっていた。先程の「セブン・シズターズ」のピークのひとつがいきなり正面に現れ、小さな湖と針葉樹が点在する草原に出た。そしてそれらは黄昏の光の中で輝いていたのだった。キャンプ適地でもあるようで、いくつかのグループが湖の前にテントを張っていた。 ![]() ![]() ここで少し迷う。ここに宿営するか、もう少し行くか? 今思えばそこに泊まるべきだったのだが、先のことは判らないのだから仕方が無いのである。とにかく目標にしていた、サウザンアイランドレイクへと向かうことにした。日は沈んだ後だったが、まだまだ残照は明るく、とにかく先へと急ぐ。 やがて大きな湖が見えはじめる。これがサウザンドアイランドレイクで、アウトドア作家・加藤則芳さんの名著「ジョン・ミューア・トレイルを行く」の表紙にもなっている美しい湖だ。水面にいくつもの小島が浮かび、その向こうに巨大な山が聳える素晴らしい眺めだ。 ![]() 湖へ続くトレイルは、斜面をトラバースしながら小さなアップダウンを繰り返すが、なかなか湖畔に近づかなかった。空は次第に光を失い、夜の闇がだんだんと支配しはじめる。疲労しきった身体を動かし道を辿るが、夜9時前ついに諦め、トレイル横のあまり広いとはいえない平坦地を見つけ、テントを張ることにした。 実を言うと、JMTのルールではトレイルから30メートル以上離れたところでなければキャンプしてはいけないのであるが、こう暗くなってしまっては、そうも言ってはいられなかった。狭い平坦地はペグで打つとすぐに岩にあたってしまい、何本かはうまく打てなかった。「アイランドパスが最適地だったのに」と思いながら、何とか真っ暗になる前にテントを張り終えることができた。 夕食はインスタントラーメン+魚肉ソーセージ。日本人の僕には、やはりこういうものが胃にやさしい感じで良い。一段落し、やれやれと見渡すと、上がってきた月が湖のさざ波を照らしているが見えた。 ■
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by backpacker_f
| 2007-09-20 05:56
| BACKPACK
2007年 09月 10日
久々にWurlitzerネタです。
-- Guitarを弾いている友人(2006年12月参照)より、エフェクター'Wah'を購入しました。 エレクトリックギターのWahペダルプレイは、ずっとカッコいいなあと思っていて、そんな話を友人にしたところ「実はエフェクターの改造が趣味で、Wahは何台かあるんですよ」ということで、有名なVOXのものとCrybabyのものを試させてもらいました。 友人曰く「パーツを換えてチューニングしてあるので、音はかなり良くなっています。」と言われても、E.Guitarのエフェクターのことはさっぱりわからないbackpackerであるので、とにかくWurlitzerのアウトとアンプの間にインサートしてみる。 ![]() ![]() ![]() ペダル自体がスイッチになっていて、深く踏み込むと「カチッ」っと音がしてエフェクトに切り替わる。そしてペダルを上下させながらWurlyを弾くと、音が歪み気味になったり、ミュートしたようになったりと変化してなかなかカッコいい。両方とも試した結果、ワイルドに音が変化するVOXのほうを譲ってもらうことにしました。 それ以来、Wurlyを弾く時にはWahペダルを踏み込みながらというのが癖になっていしまいました。歪ませ気味にワウワウしていると結構気持ちいい。 リズム良くセンス良くというのはまだまだ難しいのであるが、バンドにでも入れてもらって、試してみたいと思っている今日この頃なのであります。(ちなみに僕がやっているようなアコースティック系のセッションの中ではあまり合わない感じがします。) ※「Wah」というのは、そもそも何なのかと調べてみると、もともとはトランペットやトロンボーンなどでベルに帽子などをあてて、それを動かしながら吹く奏法のことなのだそうです。ちなみ筆者は購入するまで「Wow」とか「Waw」だとずっと思っていました... -- ついでにそんなWahサウンドのCDの紹介です。 Swing Out Sister / Live At The Jazz Cafe ![]() UKのポップスグループSwing Out Sisterの1990年代のライブ盤です。キーボードのアンディは(多分)Rhodes Electric pianoにWahをインサートして演奏しているようで、聴いているとところどころでキーボードがワウワウしているのがわかります。 Swing Out Sisterというと大ヒットした「Am I same girl ?」や「Break out」、日本のテレビドラマの主題歌にもなった「あなたにいてほしい」のような(悪い意味ではなく)万人受けするポップスのアレンジを想像されるかも知れませんが、このライブではUK soulのバンドサウンドをこれでもかといった感じで聴かせてくれます。ブラスセクションも大活躍していて本当にかっこ良いので、興味のある方はぜひ聴いてみて下さい。 ■
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by backpacker_f
| 2007-09-10 23:58
| MUSIC
2007年 09月 04日
旅の回想録、カリフォルニア紀行(2007年夏)続きです。JMT Fourth Dayとは、ジョン・ミューア・トレイルを昨年から数えてという意味です。
-- 2007年7月25日(Lyelle Lake / Yosemite National Park, CA) 「反省を生かさないから、未だにひとりなんだよ。」という沖田浩之の言葉(映画「私をスキーに連れって」の台詞)が頭の中で繰り返される、そんなJMTの初日なのだった。故沖田さん、確かに彼女はいない。普通に昨年の反省を活かせば、こんな失敗はしなかったのだ。 僕のバックパックは必要以上に重く、歩き続けるうちに肩に食い込みバンランスもとられ、歩くのは苦痛でしかなかった。それなりに減らしたつもりでいたが、出発直前になって「これも入れておいたほうがいい」とか、「サンフランシコの街を歩くのに、山の恰好はないだろう」と余計な服を入れてしまったことなどが響いた。また、食料も4日分+予備で十分なのに、ついつい買い過ぎてしまった。他にも、サブパックまで持って来てしまったというのも大きな失敗だった。しかも大きめでバックパックにしまえるようなものではなく、前に掛けたりして歩いていたのだが、邪魔なだけなので、結局のところバックパックに縛りつけることにした。すると全体のさらにバランスが悪くなり、一歩進む毎に荷物全体が大きく揺れ、とても歩けたものではなかった。でも歩くしかない。 あと不要だったものと言えば、一眼レフカメラだった。今やデジカメだけで十分なのに、いつも旅に持って行っていることもあり、つい持ってきてしまった。しかもボディの他に標準・ズーム・魚眼レンズ+フィルムで結構な重さと大きさを占めてしまっていた。 後になってわかることだが、防寒着関係も不要だった。昨年はハイカントリーに入ると夜かなり冷え込み、着込んでシュラフに入っても震えながら眠るほどだったのに、今年は全く寒い感じなかった。シュラフを買い替えたのが良かったのかも知れないが、それよりも温暖化が進んでいるということなのだと思う。 また、自分の悪い事は全て忘れてしまうという、お気楽な性格も影響しているといえる。去年も荷物が重くて苦労したが、そんなことは一年もたつとすっかり忘れてしまう性分なのだ。そういった訳で、今回は「辛かった...」としか言えないのである。それもまたすぐに忘れてしまうのかも知れないが... -- Tuolumneの朝、思ったより寒くなかったと思いながら、ゆっくりと朝食をとり、紅茶を飲みながらテントの撤収にかかる。隣りに泊まっていた長身美人たちは早起きな上に、素晴らしい手際の良さで荷を片付け、「それじゃあ、気をつけて」と、あっという間に去ってしまった。こちらは久しぶりのキャンプということで片付けに手間取り、出発は10時近くになってしまった。今日はたくさん歩かなければならないというのに、ひどいスローペースなのだった。 キャンプサイトからライエル川沿いに続いているトレイルを行けば、JMT(ジョン・ミューア・トレイル)に合流するのであるが、「せっかくなので正規ルートを歩こう」とTuolmne Lodgeの方へ回り道することにする。何となくお気に入りのLembert Domeに挨拶して出発したかのだ。 ![]() ![]() Lembert Dome横のメドウを通り抜けていくと、Tuolemne Lodgeに出る。ホテルがあるのかと思っていたら、どうやらコテージが集まったところのようだ。時間もないし荷物も重いのので、通り過ぎるだけにして先を急ぐ。 ライエル川を渡る橋のところで、すぐに重い荷物に疲れてしまい休むことに。大きな岩がプールのような溜まりをいくつもつくっているところで、とても気持ちの良い場所だった。先に休憩していたロサンゼルスからのトレッカーカップルと話す。彼らはTuolmneを拠点に、何日も日帰りハイクを楽しんでいると言っていた。そして彼らの荷物はとても小さかった。「スナックと水しか入っていないよ」と、これからTuolumne passやいくつかの湖を訪れるという彼らは、トレイルへ軽快に消えていった。 ![]() 僕はといえば、そのあたりで自分の荷物が重過ぎるという大問題に気付いていた。それと足の爪が痛くなっているのもかなり気になっていた。実は右足の親指をいつだか打つけてしまっていて、内出血して爪が剥がれ気味に浮いているのだが、まだ外れるというわけでもなく、(普段は大丈夫なのだが)少し圧迫されただけでかなり痛みが走るのだった。なので、せっかく素晴らしいトレイルを歩いても、風景を堪能できる状態ではなかった。(それでは紀行文にならないので写真を見ながら書いています。)実際、ライエルリバーに沿った美しいメドウがどこまでも続き、とり囲むような針葉樹林帯があり、その上にハイシエラの山々が連なるというなかなか感動的な風景が展開されているのだが、僕といえば重過ぎて肩に食い込む荷物に苦しみ、重心を持っていかれそうになり、ちょっとしたことで爪が悲鳴を上げるという悲惨な山行となっているのであった。しかもこの状態が4日も続くと思うと、「あの荷物は要らなかった」とか「食料を買い過ぎた...」とか後ろ向きなことばかり考え、とてもシエラの自然を楽しむためにやってきたとは思えないのだった。 1時間おきくらいに休憩をとりながら、ゆっくりと上がっていく。メドウにはそこらじゅうで夏の花々が咲いていて、「荷物が少なかったら、どれだけ感動できただろうか?」と思う。 ![]() ![]() ![]() 午後3時過ぎ、メドウから少し森に入ったトレイルの分岐点で、上から降りて来たトレッカーに会う。よく見ると先程橋の上で会ったばかりの二人なのであった。彼らは「上の湖は素晴らしかったよ。荷物重そうだけれど、気をつけて。」と優しい言葉と笑顔を残し、またしても軽快にトレイルに消えて行った。 ライエルリバーのメドウが終わると、今度はスイッチバックしながらの上りとなる。僕はすぐにバテて、少し上がったばかりのところで休んでいると、別のトレッカー二人組が上がってきた。彼らはカリフォルニア出身だが、現在は上智大学の学生で四谷に住んでいるという人カップルだった。僕が東京から来ている事を知ると「凄い!スモールワールド!」とか「ベリーストレンジ!」と連発したのだった。彼らの名はジョシアとモニカだと自己紹介してくれた。「今日はどこでキャンプするの?」と尋ねてみると、「ドノビューパスの手前の小さな湖まで行きたい」と言った。実は僕は「もう限界」と思っていたのだが、彼らがそこまで行くのなら、もう少しがんばってみようと思った。しかしながら、僕はまだ休憩が足りないので、ジョシア達が先にスイッチバックへと消えていった。 ![]() ![]() ![]() スイッチバックを上りきると、歩いてきたライエルバレーの雄大なメドウが見下ろせるようになる。とても辛かったが、よくここまで来たと思う。再び森に入り川の水音を聴きながら歩いて行くと、ジョシア達がテント設営しているのが見えた。どうやら湖はあきらめここで宿営するらしい。「Hiroもここでキャンプしないか?」とジョシアが言ってくれたが、もう少し行けそう(行かないと明日以降がかなり大変になる...)な気がしたので、もう少し上を目指すことにした。 ![]() ![]() 日が沈み、残照が高い山に僅かに残る頃、ようやく湖に到着することができた。ライエルバレーは見下ろせなくなり、その代わりにドノビューパスの雪を冠ったピークが、僅かに残った陽に輝いていた。ここは正にキャンプ適地で、数グループがテントを張り、夕食の後の時間を、ゆったりと寛いでいるようだった。僕もそうしたいところだが、暗くなってしまう前にと、急いでテントを張り、水を汲みに行き、夕食の支度をする。そして食事にありつけたのは、空が星で一杯になった頃だった。今夜も「お湯を入れるだけ」シリーズでインドカレーというのを選んだが、期待したほどおいしいものではなかった。「何でもおいしく食べる」を家訓(?)にしている自分なのであるが、半分ほどしか食べられなかった。残りはベアキャニスターにしまい、レンジャーから言われたとおりテントから離れたところに置き、テントに入ったのだった。外は小さな湖に山と空と月と一緒に映り、素晴らしい光景を見せていた。 ![]() 記録をつけたり、持って来た本(これも余計!)を読みたいところだったが、ひどく疲れている上に、標高のせいか頭も痛く、何もできずとにかくシュラフに包まった。 夜中に何か物音がしているような気がして起き、外を見てみるが、何も見当たらなかった。何か蠢くものがカサカサと草原を移動しているようで、何か判らず不安だったが、疲れのほうがすぐに勝り、再び眠りの世界へと引き摺り込まれていった。頭痛はまだ続いているような気がした。 ■
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by backpacker_f
| 2007-09-04 06:01
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