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1 2006年 09月 24日
旅の回想録(California, 2006)続きです。
-- 7月29日(Sunrise Campsite) デイルさんは、今朝もミソスープを作ってくた上に、「今夜はキャンプはしないかいら」とフリーズドライのみそ汁をくれたのだった。晴天で一日が始まり、それぞれマイペースで朝食をとり、野営地を片付ける。グループのまとめ役男は、僕がこれから訪れるサンライズ、カレドラルについて「世界であんなに素晴らしい所を知らないよ」と教えてくれた。 準備は向こうの方が早く、「じゃあ先に行くから」と6人組はハーフドームを目指し出発しかける。世話になったお礼を言い、もう一度記念写真をとらせてもらうように言うと、皆並んで「We're crazy Americans!」とポーズをとってくれた。僕からすれば「The best kindness people of U,S.A」なのだった。賑やかなな彼らが去ると、そこには静寂と青空だけが残った。 一晩ゆっくり休んだので、午前のトレイル歩きは実に快調だった。地図で見る限り、そのスピードの違いは歴然としていた。(上りが比較的緩やかだったのもあるが) ![]() ところで、なぜジョンミューアトレイルを歩くことを思いついたのだろう? 「自分でも良く判らない」というと「この人は何?」という事になってしまうのだが、人は様々な要因があって、その目的を果たさなければならなくなるものなのだ(???)。 ヨセミテのことは随分昔からアメリカの有名な国立公園と知っていた。一番最初に意識したのは、高校時代からの友人からだったと思う。高校卒業後渡米し、アメリカ西海岸の自然について「ここは凄いから、訪れたほうがいい」と帰国の度に聞かせてくれた地名の中にヨセミテの名があったのだ。 それだけではなく、大学生の時ひょんなことからある作家の息子さんの家庭教師を引き受けていたことがあった。その方こそがシエラネバダの自然の紹介者、加藤則芳さんなのだった。その頃は本当にバカな大学生で、本もろくに読まなくて(今は尊敬する)カヌーイストで作家の野田知佑さん名著「日本の川を旅する」(加藤さんはこの本の編集者でもあり、野田さんを世の中に紹介した人なのだった。)をプレゼントされ、ようやく本の素晴らしさを知る事となったのである。大学卒業と同時にその家庭教師の役目も終え、加藤さんとも連絡をとることもなくなってまったが、今度は読者としてアウトドア雑誌を中心に掲載されるエッセイをよく読んでいた。シエラネバダの自然の素晴らしさについて触れられることが多く、その地にいつか訪れたいと思っていたのだ。 そして10年ほど前、20代後半になってはじめて海外バックパック旅を経験し、その虜となり、ヨセミテは僕の中で必ず訪れる場所のひとつとしてイメージは大きくなっていった。しかし、その前にオーロラやグレートバリアリーフ、サハラ砂漠など、より優先して訪れなければと思う場所の後回しにされて行ったのも事実だった。 そして、2001年にニューヨーク9.11テロが起き、その後のアフガン・イラク攻撃とアメリカを訪れたくないような状況が続き、その度にヨセミテ行きは遠ざかって行ったのだった。 それが、昨年メキシコ旅でどうしてもアメリカを経由しなければならなかったり(しかもAmerican Airlineだった)、前述したようなシエラネバダへの憧れが後押ししたのだった。(さらに言えば何の因縁か今回はUnited Airlineなのだった。) ヨセミテ行きを決めて調べ始めると、そこは予想以上に素晴らしいところという確信を持つこととなった。特にヨセミテを歩いたトレッカーたちが記したジョンミューアトレイルについてのインターネット上の記事には、とても引かれるものがあり、(ほんの一部だが)そこを歩く事を決めるのにそれほど時間はかからなかった。また、それらの記事のひとつに、加藤さんのホームページにのせられていたエッセイもあった。 アメリカ人についても、次々に出会う気持ち良い人たちのおかげで、国策と人々を一緒に考えていたという愚かな自分の間違いにも気付いのたのだった…そんな事を考えながらクラウズレスト・ジャンクションから続く森の中のトレイルを進んでいく。 今日は楽勝かもしれないと順調に距離を稼いでいったが、今日の最高標高地点への上りは思った以上に長かった。休み休み乗り越えて行くと、いきなり風景が変わる。花崗岩の台地状の地形に出て、ハイカントリーの山々が一望できるようになり、所々にメドウがあり、そこではたくさんの美しい花が咲いていた。リーダー氏の言ったとおり風景だった。 ![]() なだらかなトレイルをゆっくりと歩き、一番眺めのいいところで昼食休憩とする。今日もあまりトレッカーは多くなく、こんなに素晴らしい風景を一人占めしてしまうのはもったないくらいだった。 ![]() ![]() 昼食の後、そのまま平坦なトレイルを歩いていくと、尾瀬ケ原のような広いメドウに出る。そこがサンライズだった。ここにはキャンプ場があって馬で上がってくるツアーの人たちのためのキャンバスでできたキャビンがいくつかあり、その周りにキャンプできるようなスペースが広がっていた。 思ったより早く着いたので、もう少し先まで行こうかと進んでいく。しかし、途中ですれ違う人に聞いてみると、先程のところが一番いいようで、また戻ってテントを張る場所をさがす。 尾瀬ケ原のような所を見下ろす花崗岩が段々になったところにベストな場所を見つけた。花崗岩台地でも松(?)の木が所々に生えていて、薄く積もった土が平坦になっている。ちょっとした日陰があり、数歩歩けばすぐに眺めのいい展望台で、キャンプファイヤーサークルもあり、最高なキャンプ地だった。 キャンプの準備をしていると、隣のサイト(といっても30メートルくらい離れているが)から、到着したばかりのトレッカーが「ここに後から2人来るよ。よろしく、ボブだ。」と挨拶した。彼のグループはジョンミューアトレイルを踏破する予定だという。 テントを組み立て、キャンプファイヤー用の薪を集める。あまり落ちていないが、とりあえずビニール袋に小さな朽ち木ばかりだが入れて行く。 実は今朝ガスストーブを使った時、お湯がなかなか沸かず、ガスが思いのほか少なくなっていたことに気付いていた。このガスストーブも今回のために新しく手に入れたもので、実際どれくらい持つものかわからなかったのである。 サンフランシスコのR.E.I.でガスボンベを選んでいるときも、「まあ一人だし荷物は小さいに越した事はない」と、一番小さいのを選んだのだが、全く見通し甘かったのだった。 もう仕方のないことなので、テントの前にあった小さなキャンプファイヤーサークルの周りに石を積んでちょっとした釜戸のようにして、薪に火を付け「お湯でも沸かしてみるか」と準備をはじめる。すると先程のボブがやってきて、僕の釜戸を見て不思議な顔をするので説明すると、「火なら俺のを使っていい」と言ってくれたのだった。彼らのJMT(ジョンミューアトレイル)全行程の道はまだ相当長いというのに、「それは申し訳ない」と断っても、「途中で補給するし大丈夫だ」と言って向こうが譲らなかった。その結果、釜戸は使われることなく、ボブのMSR製のホワイトガソリンのストーブの恩恵に預かることとなったのだった。 お茶を入れてもらっていると、後からの2人も上がってくる。グレンとミックという男性で、3人はサンフランシスコからのトレッカーなのだった。 3人とも40〜50代に見え、良く喋るグレンと無口なミック、そして世話好きなボブ、またも気の良いアメリカン達に出会って、本当にラッキーと思う。中でもボブはサンフランシスコ動物園に勤めるドクター(獣医?)で、担当は何と熊なのだと言っていた。グレンはボブのことは「ドクター・ボブ!」と呼べばいいんだと、しょっちゅう大声で彼を呼んでいたのが可笑しかった。そして、僕が訪れると、「Bob, your patient!(ボブ、患者が来たぞ!)」と叫び、またボブも満更でもないといった感じで、ドラマERのように「どうした?」と出てくるのが、実に可笑しかった。 山の上の豪快な3人組だが、彼らには自然にダメージを与えてはいけないというポリシーがあるようで、僕がキャンプファイヤーでもやろうと集めてきた薪は使われることはなかった。 ![]() サンライズの夕暮れ(書くと変な感じなのだがそういう地名なので仕方ない)は本当に美しかった。大きなメドウを取り囲むライエルマウンテンやカテドラルピーク、コロンビアフィンガーといった山々が次々に真紅に染まっていき、日没を境に一気に闇に落ちはじめ、空には次第に星が増えていく。そして静寂と標高2800メートルの冷たい空気だけが、あたりを支配していったのだった。 ![]() ![]() MSRのストーブを再び借りて、スパニッシュライスというドライフードの料理で夕食をとる。昨日の残りのワインを三人の前に出すと、また驚かれ褒められて、皆で一杯づつ飲む。「なんていう日本のワインだ?」とグレンが訊くので「ビレッジのストアで買った一番安いカリフォリニアワイン」と答えると笑っていた。キャンプファイヤーはないが、満天の星がワインの味を一層おいしくしてくれた。 ボブ達は寝る準備をはじめる。彼らは小さなテント二つなので、片方に二人入るのかと思えば、ミックが外に敷いたマットにシュラフに入っただけで眠るようだった。ここはさすがに寒いのではとないかと思っていると、ボブが「Mick is the real man(奴は本物の男なのさ)」と説明してくれた。そしてサンフランシスコ動物園の熊担当らしく、熊対策に徹底して食料と匂いの出るものを片付けるように言い、キャンプ指定地の中央にあるベアコンテナにしまいに行った。 3人が寝床に入ってしまうと、自分のサイトに戻り、テントに近いキャンプファイヤーサークルで焚き火をした。少量だけでも燃やすとあたりは随分明るくなり、暖かくなった。 思っていたより長く時間がかかり火が消えると、僕もテントへ。テント泊ではipodを聴くかなと思っていたが、今のところ必要はない。この素晴らしい自然と静寂と気持ちよいトレッカーたちとの出会い以上に必要なものはあるだろうか? 夜中、動物の物音が聴こえてくる。一つはこの近くの柵に入れられたツアーの馬たちだとわかっていた。こんなに寒いのに彼らは大丈夫なのだろうか? もう一つは、犬のような遠吠えだった。でもこのあたりに犬はいないだろう。オオカミかコヨーテが仲間と連絡をとっているのだろうか? 不思議と怖いとは感じなかった。 その晩は、さらに冷え込み何度か目が覚めた。しかし、シュラフから出て着込む程の気力はなく、丸まるように眠り続けようとした。 -- ジョン・ミューア・トレイルの本の紹介です。 加藤 則芳 /ジョン・ミューア・トレイルを行く—バックパッキング340キロ ![]() 僕がJMTを歩くきっかけともなった、加藤則芳さんの書かれた本です。 加藤さんは全行程を踏破されており、その記録と次にトライする人のためのガイド本にもなっています。 この本、実は出発前にAmazon.jpで注文したのですが、届いたのは帰ってきてからで(ちょうど増版する直前だったようです)、「出発前に欲しかった」という情報満載なのでした。読み物としても本当に素晴らしく、お薦めの一冊です。 ▲
by backpacker_f
| 2006-09-24 13:29
| BACKPACK
2006年 09月 20日
旅の回想録(California, 2006)続きです。
-- 7月28日(Cloudsrest Junction) 明け方に駐車場の車の出入りで目を覚ます。快適なサイトだが、一番出口に近かったこともあり、天幕をヘッドライトで照らされて、何が起きたのかと思った。どうやら早い到着者らしい。まったく早すぎるよーともう一度眠る。少し寒いのでシュラフに入った。 明るくなってから、コーヒーと朝食をとり、出発の支度。テントをたたみ、全てをバックパックにしまい込むまでに結構時間かかってしまう。特に空気を入れて膨らませるマットは、かさばらなくていいのだが、空気を抜き袋に入る大きさにするのが、難しいのが欠点なのだった。 週末だからなのか、Campsite 4の入り口には、既に行列ができていた。早いもの勝ちで予約がいらず、場所も良くしかも安いのだから、早くから到着して待ってしまうのも仕方ないのかも知れない。 シャトルバスに乗り、ハッピーアイルへ向かう。ところが、そのハイブリットバスは途中でエンジンの調子がおかしくなって、道端で止まってしまった。追いついてきたバスに乗りかえ、午前10時40分ジョンミューアトレイルの入り口に立つことができた。文章は今までだらだらと進んできたのだが、ようやく今回の旅の目的であるジョンミューアトレイルのトレッキングが始まるのである。 ![]() 一応このトレイルについて説明しておくと、ヨセミテの自然の素晴らしさを世界に紹介した一人で、またアメリカの自然保護運動の基礎をつくったジョン・ミューア(1838〜1914年)の功績を讃えて名付けられ、ヨセミテバレー〜マウントホイットニー(アメリカ本土の最高峰)までのシエラネバダ山脈のハイライトを縦断する全長約340キロメートルもあるロングトレイルがジョンミューアトレイルなのである。この全行程を通して歩くのが北米のトレッカーたちの憧れと言われている。俄アウトドア野郎の僕としては、そんな全行程を歩く事などできないが、そのほんの一部、ヨセミテバレーからトゥオルミメドウズまでを3日かけて歩くのだ。 トレイルの入り口がなぜハッピーアイルという名前なのかよくわからないが、天気の良いメルセド川沿いの快適なトレイルを、こちらもハッピーな気持ちでゆっくりと上がっていく。少し歩くとすぐに急坂になり、それほどハッピーでもなくなってしまったが。 ![]() トレイルは、この道沿いにあるバーナルフォールやネバダフォールまでの日帰りの家族連れでなかなか賑わっていた。 有名なトレイルなので、もっとバックパックのトレッカーがいるのかと思ったら、そういう人はあまりいなくて(出発時間が遅かったからかも知れない)、どちらかというと大荷物を背負ったちょっと場違いな人という感じで、観光客に混じって上っていった。 重い荷物にヘバリながら最初の滝、バーナルフォールへ。ジョンミューアトレイルとは途中で分岐したミストトレイルという滝により近いところを通る道を選ぶ。滝の横を通るところは正に名前の通りのミスト(滝の上げる飛沫)の中で、少し濡れたがなかなか気持ちよかった。 ![]() バーナルフォールの滝上に出ても、出発が遅かった分を取り戻そうと、少し休んだだけでその上の滝、ネバダフォールへと進んで行く。しかし、だんだんと荷物の重さが堪えてきて、ところどころで休みながらとなる。重いバックパックが肩に食い込んできて、血行が悪くなり痺れてくるのだ。バックパックの中の不要なものについて「あれを置いてくるべきだった...」と考えるのだが、時既に遅くそんなことを思っても仕方ないのである。 ![]() ネバダフォールは先程のバーナルフォールよりもさらに大きく豪快な滝で、そのバクハツ的な水量には圧倒されるばかりだった。そしてその横をジグザグに上がっていく部分ではかなりのバテバテだったのだ(上に着くまでに何回休んだことか...)。 ネバダフォール上のロックガーデンという平坦地で休み、さらに進んで行く。観光客がいるのはここまでで、ここから先ではハーフドームの日帰りトレッキングの下りの人たちとすれ違うようになった。 少し歩くとリトルヨセミテバレーというところで、地図を見るとここにはキャンプ場のマークが付いている。だが、まだ時間も早いし、全体を考えればもう少し進んでおきたかった。しかし、かなりの標高差を上がってきた疲れが出ていたので、リトルヨセミテバレーから次の上りにかかる手前で遅い昼食休憩とした。 休んでいるとハーフドームからの下りの人たちがどんどん通っていく。その中の何人かとちょっと話すと、「大変だったが、素晴らしい眺めだった」と言っていた。 また、僕の後から上ってきた、使い込んだバックパックを背負い、いかにも健脚そうな、雰囲気ある髭を生やしたおじさんは、今回ジョンミューアトレイル全行程を歩くつもりだと言っていた。やはり鉄人のようなトレッカーは本当にいるのだ。そして、たかがここまでで相当ヘバっている僕に「You can do it!(君だって全行程歩くことできるさ!)」と言ってくれたのだった。本当かよ? そのおじさんは今日のうちにサンライズまで行くと言ってあっという間に急な上り坂トレイルの森に消えてしまった。サンライズといったら、僕が明日訪れようとしているところで、この鉄人は二日分を一日で行ってしまうらしい。全く... ![]() そこからの上りは、先程の滝の横に比べれば大した事は無い筈なのだが、すっかりバテてしまって、5分歩いては5分休むという超スローペースで何とか進んで行く。それでも時折木々の間から見えるハーフドームは、だんだんと見上げるほどではなくなってきていて、確実に標高を稼いだというのが実感できるようになっていた。やがてハイカントリーの山々が見渡せる台地のようなところを通り、クラウズレストというピークへのジャンクションのあたりで、「ここが限界」と野営地を探すことにした。 ウィルダネスエリアでのキャンプのルールというのがあって、場所はどこでもいいというわけではない。トレイルから30メートル以上離れ、自然に対するダメージの少ないところと決められていて、そのような場所を探さなければならない。ちょうど水場に近く、トレイルから30メートル以上離れた良い場所を見つけた。実は、自分で発見したのではなくて、別のトレッカーたちが、「こっちに良い場所があるぞ」と仲間に声をかけていたのを聞きつけ、ちゃっかりとついて行き、ゲットしたのだった。 トレイルにもと水場に近くて、またちょっと高台になっていて眺めも良く、ちゃんと平地で所々に日陰もあり、前の人が使ったキャンプファイヤーサークルがいくつかある正に最適な場所なのだった。先程のトレッカーグループが既に準備をはじめていたが、彼らは後から上がってきた僕に同じエリアをシェアしてもいいと言ってくれた。 男ばかり6人グループのトレッカーたちは、自分たちが見つけたエリアにちゃっかりついてきた僕に嫌な顔ひとつもせずに、しかも僕がテントを張る場所まで考えてくれた。どう考えてもそこではではベストな場所を指して(日陰で平坦で、広場の真ん中で水を汲みに行く料理をするにも便利な場所)、「ここを使ったらどうだ」いう親切ぶりだった。ちゃっかり者の僕もさすがに恐縮して、こんなにいい場所では申し訳ないと言うと、「ここはみんなの自然公園だから気にしなくていいんだよ」と言ってくれたのだった。6人組はロサンゼルスからやってきていて、僕と逆のコースでトゥオルミメドウズからヨセミテバレーに向かっているのだが、明日はちょっと回り道してハーフドームのピークを登ってからバレーに下ると言っていた。 相変わらず慣れない手つきでテントを張った後、夕食の準備にとりかかる。6人組グループの方は役割が分担されているようで、テント設置、料理、たき火準備と実に手際がいい。こちらはだらだらと、とりあえずコーピーでも飲んでからとガスストーブで水を温めていると、6人組の一人デイルさんが、「あなたは日本人か? ミソスープあるけど飲まないか?」と勧めてくれた。デイルさんはかつて日系企業に勤めていて、日本にも何度か訪れたことがあったし、ジャパニーズフードが好きなのだそうだ。実は僕もインスタントみそ汁は持ってきていたのだが、せっかくなのでいただく。こちらでフリーズドライとして売っているもののようだが、なかなか美味しかった。ちゃんとドライネギも入っている。しかしヨセミテの山の上でアメリカ人からみそ汁を勧められ、しかも彼らが「やはり山ではミソスープだな」とか言いながらシエラカップで飲んでいるというのは、予想もしないちょっとうれしい展開なのだった。 その後も6人組は何かと親切で、「水を汲みにいくけど一緒に汲んできてあげようか」とかなどととても考えられない程のいい人たちなのであった。僕のペットボトルを持って本当に水汲みに行ってしまうので、慌てて付いていくと、彼らはフィルター装置のようなもので濾過してボトルに入れてくれたのだった。手動のポンプ式のものもあれば電動でできるものあるらしい。僕から見れば、そのクリークの水はとても澄んでいて冷たく(その場で湧いているところも見える)、地図で見ても上には人がキャンプするようなポイントはほとんどなさそうなそうなので、そのまま飲んでしまっても大丈夫そうなのだが、こちらでは山の水は濾過して飲むのが常識らしく(ごく稀に沢の細菌で腹痛になることがあるという)、僕のにもその濾過水を入れてくれたのだった。 水場からの帰りところでこのグループはどういう集まりなのかと聞いてみると、同じ教会に集まっているお父さんたちのグループのようで、今回は男ばかりでヨセミテに歩きに来たのだと言っていた。 ![]() 日没後の暗くなりかけた中で、夕食にパスタ料理を作り、残照に浮かぶ細い月を見ながら食べる。たくさん作ってしまったので、焚き火の近くで食事している6人組に「いかがですか」と持って行くと、喜んでもらえた。 夕食を終える頃、向こうからキャンプファイヤーの輪に入るよう誘われる。持ってきていたワインボトルを持って行くと、「そんな重いものを良く持ってきた!」と歓迎され、皆で一杯づつ飲んだのだった。焚き火にあたりながら飲む赤ワインの味は格別だった。 ![]() (↑本当にいい人たちでした。一番左がミソスープを入れてくれたデイルさん。ちなみにデイルさんの足下にある海苔の缶のようなのが持ち難いと評判のベアキャニスターです。) 最初は大きかった炎もだんだんと小さくなった頃「明日は最終日で、ハーフドームに上るビックデイだからもう休もう」とまとめ役のような人が言い、解散となった。 片付けをしている時、あたりの物音に気付いてヘッドライドを向けると、鹿がうろうろとしているのが見え、一同ほっとする。途中熊に遭わなかったか聞くと、まだ見ていないと言っていた。それでも用心し、ベアキャニスターに入れた食料はテントから離れた場所に集めて並べ、それぞれのテントへ戻った。 ![]() となりのテントの二人は親子で、息子のほうは星を見ながら眠ると言って、外にマットを敷きシュラフだけで仰向けになっていた。 テントで昨日の続きの文庫本を開くが、ほとんど進まないうちに眠ってしまった。 ▲
by backpacker_f
| 2006-09-20 05:54
| BACKPACK
2006年 09月 16日
旅の回想録(California, 2006)続きです。
-- 7月27日(Campsite 4 / Yosemite Valley) ![]() 朝食はちょっと豪華(?)にブッフェへ(たかが10ドルなのだが)。食べ貯めしておこうと、これでもかというほど皿一杯にとっていく。ソーセージ、フレンチトースト、スクランブルエッグ、ベイクドホテト、マフィン2つ、オートミール、グレープフルーツ、etc...さすがに恥ずかしいとお替わりには行かなかったが ... 部屋で荷物をまとめる。問題となっていたベアキャニスターは、中に食料を全て詰め込み、バックパックの2段構造になっている下の部分に納めようすると、ちょうどすっぽりと入ってしまったのだった。これで持ち難い熊缶を抱えて歩くこともなくなり、ちょっと安心した。 隣のテキサス家族はまだ外に出てこないようで、挨拶できないのは惜しいが、チェックアウトし、バックパックをフロントで預かってもらい、ヨセミテロッジへ向かう。今日はまだ歩き始めずに、ヨセミテ観光ということで、グレイシャーポイントへバスツアーで行く事にしたのだ。グレイシャーポイントはヨセミテバレーを見下ろす展望台で、ちょうどキャンプカリーから見上げた崖のすぐ上にある筈だ。と言っても、そこまではバスで2時間近くかかるらしい。いくら回り道して上っていくと言ってもそのスケールの大きさをご理解いただけるだろうか? ツアーは10:00出発で、ほぼ満席で発車した。ドライバーはやはりガイドを兼ねていて、走り始めるなり説明がはじまった。ドライバー氏は今日が初日なのでよろしくと始めたのだが、とても初回とは思えないほどの情報量だった。エルキャピタンの直下を通っていくが、ここでは停車しない。ツアーはもう一つあって、屋根のないトレーラーに乗っていくバレーフロアツアーというのがそちらのコースになっているらしい。 他の乗客はガイドを興味深く聴いているようだったが、語学力が大した事のない僕は、うとうとと眠ってしまう。展望地以外は森の中だったし。 目を覚ますと、もうグレイシャーポイントは近いようで、針葉樹の木々の間からバレーから見えなかったハイシエラの山々が見えた。全体的には台地のような感じだが、ピークは岩山で鋭く、ところどころに雪が残っていて、それらは夏の青空に白く輝いていた。 バスはさらにカーブした山道を走り続け、やがてその端っこであるグレイシャーポイントに到着する。外に出るとかなり標高を稼いだらしく、随分涼しくなっていた。 ここはちょっとした展望公園のようになっていて、トレイルのような道をゆっくりと歩いていくと、本当の端っこ(つまりキャンプカリーから見上げた崖の上)に到着する。ここからは凄い眺めで、正面にハーフドームやノースドーム、ワシントンカラム、テナヤバレー、ヨセミテファールズ、遥か下方に緑鮮やかなヨセミテバレーと碧いメルセド川が見渡せた。 ハーフドームの右側のメルセド渓谷を目で辿っていく。明日から歩くルートだ。2つの大きな滝の横を上った後、ハイカントリーの森林帯を抜け、岩と残雪の峠を越え向こう側のトゥオルミメドウズでまで行く。かなりの標高差と距離がありそうだが、3日かけていくので大丈夫かなと思う。 ![]() ![]() 時間までハーフドームを眺めバスに戻る。乗客の半分くらいはトレイルを歩いて下るようで、席が随分空いていた。僕もできればそうしたいのだが、早いもの勝ちのCampsite4は、下りトレイルを歩いた後ではちょっと不安なので、往復にしたのだった。 帰りもドライバーは周囲の自然や歴史、動植物などについて解説してくれて、がんばって聴いていたのだが、やはり眠ってしまった。いやはや申し訳ない。 ヨセミテロッジに戻るとすぐに、そこから歩いていけるCampsite4に向かう。管理事務所にはレンジャーがいて、使用料5ドル(安い)を支払い、場所を確保することができた。そこからシャトルバスでキャンプカリーへ行き、預けてある荷物を受け取り、また戻ってくる。シャトルバスは本当に便利なのだ。 まったく嘗めているというか呆れられるのではないか自分でも思うのだが、実はキャンプは未経験。旅の直前にテントを購入し、出発前までにどこかで天幕泊をしたいと思っていたが、結局時間がなく実行できなかった。仕方ないので家の中で(!)張る練習をし、ペグは打たなかったが「まあ何とかなりそう」とほぼぶっつけ本番で臨むのである。 与えられたサイトは、針葉樹の下の日陰に柔らかそうな葉が少し積もった平坦地で(そもそもこのキャンプ場はどこも平らだが)、そこにグランドシート(初使用)を敷き、その上に蚊帳のようなインナーをフレームにひっかけるように組み立てていく。それができるとフライシートを被せるとほぼ完成で、あとはペグを打つだけ。実はペグが入っている袋は開けたことがなくて、きっとハンマーも入っているのだろうと思っていた(店員もハンマーも含め全てが入っていると言っていた)ら、防水用らしい液体が入っているプラスック容器なのだった。全く... どうしようと見回すと、他のキャンパーたちはそこらに落ちている石でペグをガンガン叩いている。なるほどと真似して、テントは完成したのであった。 マットを息で膨らましテントの中に入れ、さあこの後はどうしようと思う。他の人もテントや荷物を置いてどこかに行ってしまっているようだったので、そのままにしておいて大丈夫だろうと、ベアコンテナ(キャンプサイトに設置された食料を熊に奪われないためのロッカー)に食料を入れ、出かけることにした。 ![]() 歩いてすぐのヨセミテロッジは、宿泊棟がいくつかに分かれたホテルという感じで、全体的にゆったりとレイアウトされており、なかなかいい感じだった。ここのストアは、ビレッジのスーパーマーケットほどではないが、なかなか充実した品揃えで、向こうにはなかったインスタントラーメンがあったので喜んでしまった。これでキャンプの楽しみが全然変わるのである。(そんな大げさな...) シャトルバスに乗り、センティネル橋というところで降りる。メルセドリバーの川上にハーフドームを眺められるポイントなのだ。橋から見下ろす流れの中は澄んで冷たそうだった。 ![]() ハウスキーピングキャンプ場(ここはキャンバス地の屋根が掛けられて、気軽にアウトドア泊を楽しめるような宿泊施設)まで歩き、再びバスに乗りハッピーアイル方面に向かう。 キャンプカリー前のメドウを通ると、傾いた陽光に輝くハーフドームが見えた。昨日と同じような夕暮れなのだが、不思議なことにハーフドームにだけ白い雲がかかっていた。外を歩いている人たちもその神秘的な眺めに足を止めていた。そのベールを冠ったようなハーフドームをじっくり見ようと、シャトルの乗客の中には下車してしまう人もいた程だった。 ![]() ハッピーアイルを通り過ぎ、その少し先のミラーレイクトレイルというところで降りる。もう日没までそれほど時間が無いが、ここから2マイルほど先にあるミラーレイクからハーフドームを眺めようと思ったのだ。 30分ほど歩いて到着したミラーレイクは湖というよりも池と言うか川がちょっと塞き止められたようなところで、ちょっとがっかりする。確かに流れは完全に止まり、鏡のようにハーフドームを映してはいたが。 このあたりはハーフドームのちょうど真下あたりで、やはりそのスケールの大きさに驚かされる。崖のようなところにもところどころ針葉樹の林のようなところがあり、それらはとても小さく見えるのだがどれも実は巨木なのだった。それがわかったのは、ハーフドームの斜面近くを旋回するヘリコプターがあったからなのである。 カメラのレンズを向けながら、あのヘリコプター早くどこかに行ってくれないかと思っていたら、どうも様子がおかしい。観光のフライトではないようで、何かを探しているのか、何度もハーフドームの崖から針葉樹帯の上を何度もホバークラフトしている。近くにいた人が「さっきのロックスライドを見たか?」と訊いてくれたおかげで、何が起こったのようやくわかった。 ロックスライドとは岩石崩落のことで、先程のベールのような雲は、崩落が起きて舞い上がった土煙なのだった。実はもう一日余裕があれば、ハーフドームのピークも登頂したいと思っていたのでかなり驚いた。ヘリコプターはナショナルパークが調査のために飛ばしたものだろう。巨大な山塊のほんの一部の岩が落ちだだけのことなのだろうが、その時山頂にいたらどうなっていたのだろうと思う。詳しい状況はわからないが、とんでもないことが起きていたようなのだった。 ![]() ミラーレイクからの帰り道、振り返る度ハーフドームは沈み行く夕陽にオレンジとも紅ともいえないような色に染められていた。スポットライトを当てられたかのように照らされ、それがだんだんと山頂のほうへと小さくなっていく様子をフィルムに納めた。 そして正面に視線を戻した時、そいつは現れたのだった。 距離にして50メートル。もう少し離れていたかも知れない。闇の迫りつつある森の中から突然、彼(彼女?)は僕の歩いている道を横切り、そしてこちらに気付き立ち止まった。そしてこちらも動けなくなってしまった。 体長(と言っても立ち上がっていないのでよくわからないが)約150センチはあろうかというブラックベアだった。サイクリングロードに不用心に飛び出してきたところを見ると、まだ若い熊なのかも知れない。 お互いに突然のことで、どうしたらいいのかとしばらく立ち止まったままの状態が続く。しかし僕はそこを真っ直ぐ行かないと、キャンプサイトには帰れない。本で読んだ限りでは、ブラックベアの場合、基本的に臆病でキャンパーの食料に興味があるだけなので、よっぽどのことがなければ人を襲うことは無いらしいということを思い出し、恐る恐る前に進んでみる。すると向こうは仕方ないという感じで渡りかけていた道を横切り、ワシントンカラムの森の方へと消えていった。その後もまだ森の中からこちらをちらちら見る熊の動きに注意を払いながら歩いて行くと、先程、熊がいたあたりに着く頃にはもう姿を確認することはできず、森の中のどこかへ消えて行ったようだった。 もし至近距離で鉢合わせていたらどうなっていたのだろう。ハーフドームの輝きに振り返ることなくこの道を急いでいたらと思うと、今でもゾっとする。もしかするとハーフドームが守ってくれたのだろうか? ![]() 熊トレイルを抜けると、アワニーホテルに出た。ここはヨセミテバレーきっての最高級ホテルで、日本の上高地だとの帝国ホテルのような位置づけだろう。自然にとけ込むような木と石を使った建物で、嫌みのない落ち着いたリゾートだ。もっともトレイルからちょっと見えたレストランには「ここが山の中?」というようなフォーマルなドレスに正装した宿泊客がテーブルのキャンドルとともに見えた。このすぐ近くでばったり熊に会うかも知れないのにね... そんな超高級ホテルを横目に、ちょうどやって来たおなじみのシャトルバスに乗り、Campsite4へ。 ![]() すっかり暗くなった中、ようやく我が家(テント)に辿りつき、こちらも対抗してキャンドルのランタンに火を灯し(笑)、夕食の支度にかかる。こちらのディナーはインスタントラーメンとビールなのだ。 同じサイトでシェアするテーブルには、マサチューセッツからのカップルが仲良く食後のお茶を飲んでいた。他には、テントなしの家族連れがシュラフを地面に並べ、眠りについていた。(アメリカにはこういうキャンパー?がいると噂には聞いていたが、蚊とか寒さとか大丈夫なのだろうか?) 食料をベアコンテナに戻した後、ベンチに腰掛け空を見上げる。今夜も満天の星が瞬いていた。 テントに入ると、シュラフはいらないくらいの気温だったので、敷き布団のようにして寝転がり、ヘッドライトで持ってきた文庫本を読む。エルネスト・チェ・ゲバラの「モーターサイクル・ダイアリー」という青年時代の旅行記だ。バイクで南米大陸を縦断するらしい(しかもかなり無謀で破天荒な貧乏旅行)。チェと彼の友人アルベルトが故郷のアルゼンチンの内陸の町を出発し大西洋岸に出て、砂浜に寝転がり月に照らされたさざ波を眺めるというシーンで、僕も眠りの中へと落ちていった。 ▲
by backpacker_f
| 2006-09-16 22:23
| BACKPACK
2006年 09月 12日
最近Wurlitzerについてあまり書いていませんが、ちゃんと弾いていますよ(笑)。
ただ、ライブも改良点もないので話題がなく、そこらへんはですねもう少し充実させて行こうと思っています... で、今日は久しぶりに愛機Wurlitzer200について書く訳ではなくて、Rhodesの話です。 -- Wurlitzerを手に入れエレピの奥深い世界に身も心も染まっていくと、やはりもう一方の雄‘Rhodes’もかなり気になってきます。自分はWurly派と決めていてもBill Evans(エレピとグランドピアノを並べて録音したアルバム「From Left to Right」)やGlover Whasington Jr.(エレピ奏者ではないですが、名曲「Just the two of us」でRichard Teeの演奏を聴く事ができます。)、その他にもJoe Sample、Steely Danなど(あげるときりがない)の名盤を聴いていくうちに、やはりRhodesもいつか欲しいと思うようになっていたのでした。 それで週に何度かは中古楽器検索サイト「デジマート」で相場や在庫を見たり、yahooオークションをチェックするようになっていきました。そんなことをしているうちにRhodesの種類などもわかってきて、「やっぱりSuitecase(トレモロと大型アンプ付きのRhdesの代表モデル)がいいのだろうが、あれは重すぎて手に負えないので、アンプのないmkシリーズで鍵盤が木製の73鍵モデルが欲しい」などと、予算もないのに決めていたのでした。 ![]() (↑Rhodes mk-1 73keys。フェンダーローズ・スーパーサイトhttp://www.fenderrhodes.com/から拝借させていただきました。) -- そしてつい先週、そのmk-1シリーズの希少モデル88鍵が、ジャンク品としてyahooオークションに出品されていたのを見つけてしまう。 「25年前に購入しあまり使わずにいたので、現状では鍵盤の一部(6key)が音が出ない」というものが、たった3万円だった。 最初は「88鍵モデルだと置く場所がないし、60キロとはとても一人では運べない」と思っていた。しかもジャンク品で直るという保証もないし、だいたい修理にいくらかかるかもわからない。 それで今回は見送るつもりでいたが、オークション最終日どうも気になって、パソコンを開いてしまう。前日までは動きがなかったが終了間近になって5万円くらいの値がついていた。やはり、ジャンク品でもチェックしている人はいたのだ。最近の価格は中古楽器店でだいたい30万くらい。希少モデルの88keyなら35〜40万くらいにはなってしまうだろう。出品者のコメントを信じるなら、修理代をかけたとしても十分おつりがくるのではないかと急に考えを変え、入札してしまう。 終了時間ぎりぎりで入れた6万くらいでトップに立つ事ができた。「やったか」と思い画面を見てみると、いつの間にか終了時間がまだ10分あることになっている。見間違えていたのかと思っているうちに、別の人が高値をつけてトップに立っている。もう一度とまた終了時間ぎりぎりに入札すると、またもトップがとれてしまった。それで今度こそ落としたかと思っていると、また10分増えている。見間違えでないことは明らかだった。 yahooオークション会員になったのは最近で、まだルールをよくわかっていないのかも知れない。しかし、前の週に別の音響機器を落札していたので、まったくの初心者ではない。終了時間を変更するなどということは可能なのだろうか?「アンフェアーではないか!」と思いながらも(実は終了時間の変更できるらしい)、出物を逃してはと、入札に加わり続け、他の出品者に負けて終わったかなと思っていたら、またも時間延長されていたりした。「次こそ!」とまたぎりぎりで入札して首位に立ったが、またも時間が延長され、8万円を越えたところで「これはキリがない」と思ってやめた。 普通ならそこで話が終わりになるだが、そこからが続きがあったのだ。 翌日パソコンを開くと、出品者からメールが入っていた。 「突然で申し訳ございませんが、昨日終了したオークションで最高落札者様が商品のキャンセルをされたのですが、もしよろしければ入札価格で商品を購入していただけたらと思いメールさせていただきました。ご購入の意思がありましたらご連絡ください。」 このメールを見たときは、諦めかけてたRhodesが手に入ると喜んでしまった。しかし、実際に入手するとなると、「どこで修理するか?」とか、「置く場所は?」と少し迷った。すぐには返信せずに(これが結果的には良かった...)一晩よく考えることにした。 Rhodesの状態や設置場所について考えているうちに、ふとこのメールは本当に出品者からのものなのだろうか?という疑問が湧き始めた。メールアドレスがYahooIDとは異なり(しかもtararitaraiponというちょっと人をバカにしたようなIDだった)hotmailからのものだったし、だいたい何故僕のアドレスを知っているのだろうか? 複数のメールアドレスを持つということはあるし、僕のアドレスもYahooIDと通常のyahooメールを組み合わせればできてしまうものなので、そういうことなのだろうとまだ信じていた。 翌日、楽器の状態についての質問と出品者本人であることを証明してほしいという内容のメールを返信した。またネットで調べた修理業者に連絡し、いくらかかりそうか尋ねると、よっぽどのことが無ければ、調律を含めても10万程度でできそうなのがわかった。これなら、かなりの破格で入手できることになる。 これで、Rhodesを迎える手筈は整った(またお金がなくなってしまうが...)。あとは、出品者からのメールを待つだけだった。その日何度かパソコンを開いたが、返事は届いていなかった。 その夜、今日中は連絡がないだろうと諦め、ふと気になっていたオークション詐欺についてネットで調べてみる。 すると驚いた事に、オークンションの「キャンセル詐欺」が横行していると書いてあるではないか! しかも、それらの事例と僕に送られてきたメールの内容はほとんど同じだった。もう一度送られてきたメールをよく見てみる。出品者からのメールなのに氏名や住所が書いていない。 翌日まで待つ事もなく、詐欺に引っかかりそうになっていたことを確信した瞬間だった。 その後、何日たっても出品者を名乗る者からの返信はなく、こちらが少し疑ったことで向こうも諦めたようだった。 今回のことでは、僕のミスも確かにあった。yahooIDとメールのIDが同一だったことだ。(ちなみにexciteblogのIDと異なります。)これではアドレスを公開しているようなもので、それが全ての過ちだったと言える。 また、yahoo側のシステムにも問題が無いとも言えない。オークションページを誰でも閲覧できるようにしていることで、詐欺犯に商売の材料を簡単に与えている。せめて入札履歴などはIDを持っているログインユーザーのみが見られるようにすればいいことなのだ。 しかしプラスもあった。オークション詐欺について知ったことは勿論のこと、エレピの修理業者を見つけることができたことだ。高円寺のリハスタが推薦しているページを見つけ、連絡してみたのだが、いかにも職人という感じの方が応対してくれ、直感にだがかなり信用できそうな雰囲気の方だった。うちのWurlitzerも修理・調律してもらう時にはいいかも知れない。 -- そんな訳で、残念ながらRhodesオーナーにはなれませんでしたが、これは「もっとWurlitzerで練習しなさい」との思し召しと思い、身を戒めていきたいと思います。(ライブもやらないと...) また、面倒くさいと思いつつも、メールアドレスを変更しなければと思っている今日この頃です。 ![]() (↑実は7月に友人のライブにバッキングで参加しました。ついに顔写真出してしまいましたね...アロハ着てエレピを弾いている呑気な奴が私です。この時は迷惑顧みずコーラスまでやってしまったのでした...) -- ついでに先程のRhodesが聴けるお薦め盤の紹介。 Bill Evans「From left to right」 ![]() ビル・エバンスがアコースティックピアノとエレピの両方を弾いているちょっと変わったアルバムです。このアルバムで例の88鍵モデルを使用していたらしいのですよ。 エバンスらしいトリオのものとはかなり雰囲気が異なりますが、これからの秋の夜長にもってこいの一枚です。 ▲
by backpacker_f
| 2006-09-12 12:55
| MUSIC
2006年 09月 08日
旅の回想録(California, 2006)です。さらに長文になってしまい申し訳ないです...
-- 7月26日(Camp Curry / Yosemite Valley) 朝一番に、キッチンでパンケーキを焼き手早く朝食を済ませ、数ブロック離れたところにあるプラザホテルへ向かう。サンフランシスコの街には低く雲が垂れ込め、どのビルも上の方は霧の中に消えていた。 ![]() ホテルの入り口には、カリフォルニアパーラーツアーズ社のバスが待っていた。このバスでヨセミテに向かうのだ。ヨセミテ国立公園には鉄道やグレイハウンドでも行けるのだが、最も早く到着するこのバスツアーの片道乗車を昨日を予約したのだ。乗車率は半分以下で出発する。すぐにサンフランシスコ湾を渡るベイブリッジに乗り、ホームランキングのボンズで有名なジャイアンツスタジアムを見下ろし、対岸のオークランドへと渡って行く。 iPODでバネッサ・カールトンの「Be not nobody」というアルバムを聴きながら、窓の外を眺める。ピアノやオーケストラを中心としたアレンジに伸びやかな彼女の歌声が心地良い。バネッサはサンフランシスコ出身のシンガーソングライターで、この豊かな自然と 素敵な街並に育まれたというのが実感できる。今回の旅では何度もプレイすることになりそうだ。 湾岸エリアから離れるにつれ、風景はだんだん乾燥していく。発電用の風車がたくさんある丘陵地帯に入るあたりからは緑はなくなり、夏枯れした草原が続いていた。このような風景を眺めている間に眠ってしまう。 ![]() 目を覚ますと、大きなスーパーマーケットの駐車場に停車していた。ここで休憩するらしい。午前中で客はまばらな店内をうろうろしているうちに「トレッキングの食料を買ってしまおう」と、バスが出発するギリギリまで(実は少し遅れてしまったのだが...)、あれこれと山に持って行けそうな食材を選んだ。日本では売っていないようなものが、安く種類も量も多いというのはなかなか魅力的なのだが、今回は山歩きということで結構迷ってしまったのだった。 やがてバスは山中の坂道をカーブを繰り返しながら高度を稼いでいく。 一応ツアーバスなので、運転手がバスガイドさんのように周囲について説明してくれる。といってもベイブリッジを渡っている時に湾周辺について案内しただけで後は淡々と走ってきたが、ヨセミテ国立公園に入るあたりから徐々に饒舌になり、次々に説明を続けてくれた。そんなひとつが山火事跡について。 ![]() ここでは自然発生する山火事は、成り行きのままに放置しておくという。それが自然本来の姿であるし、森が更新されることで新たな生命が育まれていく...そんな話を聞きながら、広大な山火事跡を通りぬけ、ヨセミテバレーに入る。谷間の奥に有名なハーフドームが見え、その存在感を早くも現していた。 トンネルビューへ。バレー入り口にあるちょっとした展望台は、ヨセミテの有名な山や滝が一度に見られるポイントである。ガイドブックに載っている写真そのままの眺めで、ついにここにやって来られたのが嬉しかった。雄大な風景を眺めながら、同じバスの台湾からの若者2人と少し話す。といっても彼らの英語力はそれほどでもないようで(他人のことは言えないのだけれど,..)、ほとんどジェスチャーでトンネルビューからの眺めをバックに互いに記念写真を取り合ったりした。 ![]() 世界有数の崖エルキャピタンとブライダルベールフォールの間にある展望地でさらに写真休憩の後、ヨセミテバレーの中心・ビレッジへ到着する。ここから乗客はそれぞれのバレー滞在へ。日帰りの人はバレーを散策、宿泊の人はパックになっているホテルへと向かう。 バスを降りたところで日本人ガイドが案内サービスをしている。彼の説明によるとここはヨセミテロッジで、バレー内は無料のシャトルバスに乗りビジターセンターやキャンプカリーまで行けると教えてくれた。僕の後のジェスチャータイニーズと苦労しつつもコミュニケーションをとっている日本人ガイド君に別れを告げ、やって来たシャトルバスに乗り、まずウィルダネスセンターに向かう。 この無料のシャトルバスは実に合理的で、バレーの主要な宿泊施設などを結びちょうど八の字を描くように反時計回りに約5分おきに運行している。八の字のくびれたあたりがビレッジの中心となるツーリストインフォメーションになっていて、バス停がちょうど道の向かいにあるので、どちら方向に行くのにも時間がかからないようにできている。これは旅行者が自由に移動できるだけでなく、交通渋滞を防ぎ(車で来た人は日帰り駐車場に停めるが、必要に応じて自由にも走行できる)排気ガスを減らせる利点もある。しかもバスはハイブリッドエンジンで、日本の上高地あたりでも導入してほしいシステムなのだった。 ウィルダネスセンターというのは、ウィルダネスエリア(公園内で自然の動植物が保護される区域。例えばヨセミテビレッジはウィルダネスエリアではないが、その外側は全てそちらに入る)でのトレッキング・キャンピングについての案内や管理を行っているところである。窓口でウィルダネスパーミット(キャンプ許可証)を申し込む。日帰りトレッキングの場合は必要無いが、エリア内でキャンプする場合必ず必要なものなのだ。山に入る人数を制限していて、多すぎるキャンパーで荒れることのないようにしているのである。事前にインターネットなどで申し込むこともできるのだが、出発の2週間前に申し込んだ時には、既に予約分はなくなっていた。残りは現地で前日で発行する分のみだったので少し不安だったが、何の事無く予備日も含めた日程、希望通りのエリアで取得できた(全体の40%が現地申し込み用に確保されていた)。この許可証は無料で、国内外にかかわらず誰もが申請できるのも素晴らしい。 パーミットの発行と同時に、キャンピングに関する注意や熊に襲われないような対策について説明を受ける。また、ベアキャニスターという食料入れもレンタルさせられる。これは固いプラスチック製の容器で、丸みを帯びた筒型で熊が掴めるような取っ手もなく、また開けるのもコインでロックを解除しないとできないようになっている。キャンプするときには、食料全てと匂いのあるもの(例えば歯磨きなど)を入れ、テントから離れた場所に置く。このルールを守れば、熊に食料を奪われず襲われにくいという。レンタル料は日数に関係なく5ドル。これで儲けようとしている訳ではなく、キャンパーと熊双方を守りたいという志の高さがヨセミテ流なのだ。 さらに増えた荷物(ベアキャニスターは人間にとっても持ちにくい)を抱え宿へ。キャンプカリーはコテージとキャンプ場のある宿泊施設で、今夜はここのコテージに泊まるのだ。本来は安いキャンプ場のほうがいいのだが、旅の準備をはじめた頃には既にどこも予約でいっぱいで、バレー内に一ヶ所ある早いもの勝ちのキャンプサイトもこの人気では午後到着だと無理ではないかと判断し、ダメもとでヨセミテ国立公園の宿泊予約サイト(一般の旅行者は全てここから申し込むことになっている)に申し込んだところ、取れてしまったのがここのキャビンなのだった。フロントは夏休みの家族連れで混んでいて、行列に並び受付を済ませる。夕方5時まで部屋には入れないということで、荷物を預かってもらい再びビジターセンターに向かう。 シャトルバスで行けば良かったのだろうが、メドウ(草原)が気持ち良さそうだったので、そちらを通って行ってみる。ヨセミテバレーには森の中にぽっかりとと空いたようにメドウが点在していて、そこからの切り立った山々の眺めは本当に素晴らしいものだった。しかし、夏の日差しはかなり強く、地図も持っていなかったのいで、再びシャトルバスの通る道に戻り歩くことになる。先程のシャトルバスでは大した距離ではないと思っていても、実際に歩くと結構時間かかってしまったのだった。 ビジターセンターのエリアには、先程のウィルダネスセンターの他にビジターセンター、郵便局、スーパーマーケット、シアター(もちろんヨセミテに関するフィルムなどを上映しているようだった)などがあり正にビレッジとなっている。それらの中のアンセルアダムスギャラリーに立ち寄る。ここはヨセミテを世界に紹介した写真家アンセル・アダムスを記念してつくられた小さなギャラリーで、展示されたモノクロ写真をため息つきつつ見入った。写真集を買いたかったが、荷物を増やしたくないので数日後またバレーに戻ってきた時にと思う。 ビジターセンターでキャンプ場の混雑状況を見てみると、午後からでは無理と思っていた「キャンプ4」が今日はまだ余裕があるとわかる。何だと思いつつも明日はそちらに移動する予定なので、多分大丈夫だろうと安心する。 ![]() ヨセミテフォールズへ。バレーからはハーフドーム以外にもさまざまな岩山や滝が見えるが、その中でも強烈な存在感を誇っているのがこの滝なのだった。標高差700メートル以上。世界でも5本の指に入ってしまうほどの高さから飛沫をあげて、観光客は皆引き寄せられるように滝に向かうトレイルに入って行く。雪解け水が源なので、最盛期(4〜6月)ほどではないようだが、それでも豪快だった。 滝を真下からじっくりと見上げた後、例の「キャンプ4」まで行き、どのように申し込んだらいいのか確認する。入り口の事務所で空いているサイトのところに名前を書き込み、お金を払えばいいらしい。少し歩いてみると高い針葉樹の中のとても過ごしやすそうなキャンプサイトだった。熊が出そうかどうかはわからない。キャンパーはなぜかロッククライマーが多く、長野県の川上村にある廻り目平キャンプ場に似ていると思った。 ![]() キャンプカリーに戻り、フロントでキャビンのキーをもらう。案内係は2つキーを出してくれたのだが、もちろん一つでいい。ここにはシングルの部屋など無く、2人用の部屋を予約するしかなかったのだ。「I 'm traveling alone」と言って必要のない鍵を返す。「Traveling alone」なんて哀しい響きの言葉だろう。 キャビンは入り口の違う二つの部屋があって、その片方を使うようになっていた。広く清潔でベットも大きいとても落ち着く部屋だ。 シャワーを浴びた後、フードコートへ向かう。今日から自炊したいところなのだが、キャンプカリー内はバーキュー禁で外食するしかないのだ。 フードコートと言っても、山小屋風の建物にレストランとコーヒーショップ、ビザコーナーしかないので、「traveling alone」派の夕食としては迷う事無く、ピザコーナーへ向かう。ここには気持ちのいいテラス席があってパブカウンターもあるのだ。外でビールが飲めるテラス席はなかなか人気があり、ピザを買うのにも長い行列に並ばなければならなかったが、こういうところで機転の利いてしまうわたくしは(!)先にパブカウンターでビールを買い、ビザの列に入ったのであった(全く...)。片手にしたのはヨセミテエールという地ビールでなかなか美味しいものだった。 1pint(向こう大ジョッキの半分サイズ)を飲む終わる頃にようやく注文し、さらに焼き上がるまでにもう一杯必要になってしまうではないかと、再びパブカウンターへ。次は「シエラネバダ」というのを頼んでみる。こちらもまた美味しいのだった。水が良いからのなだろうか? ヨセミテの帰りは写真集に加えビールも買わなければならないではない。 空いているところが無かったので、テラスの端のほうの空き席のあるテーブルで「シェアしてもいいですか?」ときいて、掛けさせてもらう。同席でビールを飲んでいたのはロサンゼンスからの二人組で、近くのロワーパインキャンプ場に大人数で何泊かしているのだという。ドラフトビアを飲みに抜け駆けて来てしまったそうだ。彼らもオープンなアメリカ人で、そんな偶然の出会いが嬉しい。お世辞に「次回はロサンゼルスにも訪れたい」と言うと、彼らは互いに見合わせて「あそこは別に見るところないよ!」と笑っていた。テラスは夜遅くまでそうした旅人たちで盛り上がり、パブカウンターが閉店し照明が消されて、ようやくそれぞれの寝床に戻って行ったのだった。 キャビンに戻り、外のベンチで星を眺めながら涼む。隣に宿泊している家族連れのお父さんも僕と同じように入り口のベンチで涼んでいて、挨拶するとまたしてもオープンないい感じの人というのがわかる。テキサスから来ていて、明日はサンフランシスコへ向かうという。はじめは暗い中の離れたベンチから話していたのだが、こちらに来て握手してくれて、しまいには家族を呼び奥さんや息子さんたちまで紹介してくれたのだった。テキサス家族が「お休み」と部屋に戻った後も、このまま眠ってしまうのが惜しく、木々の枝の間から覗く満天の星空をしばらく見上げていた。 ▲
by backpacker_f
| 2006-09-08 06:45
| BACKPACK
2006年 09月 04日
今回は、はじめてのニュースコメントです。
-- Excite %u30A8%u30AD%u30B5%u30A4%u30C8 : %u56FD%u969B%u30CB%u30E5%u30FC%u30B9 月南半球に衝突させる実験に成功 欧州宇宙機関(ESA)は3日、役目を終えた無人月探査機「スマート1」を、予定通り月の南半球に衝突させることに成功したと発表した。衝突は日本時間の同日午後2時42分で、日本からは観測出来なかったが、ハワイ島・マウナケア山頂にあるカナダ—フランス—ハワイ望遠鏡(CFHT)が、衝突で生じたせん光をとらえた。 スマート1は、月の南半球の中ほどにある「優秀の湖」と呼ばれるクレーターに秒速2キロの速度で衝突した。衝突の瞬間に舞い上がった表土が反射する光などを分析すれば、衝突地点の鉱物の組成が分かるため、ESAは各地の天文台やアマチュア天文家に観測を呼び掛けていた。 国立天文台などによる日本の観測チームも、ハワイで小型望遠鏡を使った衝突の観測をした。 同天文台の渡部潤一・助教授は、衝突観測について「月面への物体の衝突でどういう現象が起きるかを観察するという、宇宙でしか出来ない壮大な実験。日本が計画している月探査機も最終的には月面に落とす予定で、参考になる」と話した。 -- 昨夜、月面に人間が勝手にクレーターをつくったようだ。 月に探査機を衝突させる実験、科学のためとはいえこんなことをしていいのだろうか?(しかも、日本が計画している月探査機も月面に落とす予定という。) 彗星のときも、同じような違和感があったが、彗星や月のような美しい天体を人間の興味のために一部とはいえ破壊するのは異常と思う。だいたい、それらは私たちの持ち物ではない。 子供の頃から星空を見るのが好きで、宗教よりも科学を信仰するタイプだが、今回のような実験は人間の「思い上がり」以外の何者でもないと思う。 話は違うが冥王星の議論についても同様で、太陽系についても謎はまだ多く、もっと深く観測を続けてからでも良かったのではないかと思う。 思い上がった科学者たちは、「彗星は何万個とあるだろうし、月はそれくらいでは崩壊しない」と反論するかも知れない。そういう人たちの心は既に破壊されているではと思う。 せめて日本の探査機を古来から信仰の対象としている「月」に衝突させることについては、納税者としてNOと言いたいと思いました。 ![]() (↑ヨセミテで撮った月の写真です。小さくて見えないかも知れませんが...) ▲
by backpacker_f
| 2006-09-04 12:30
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