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2007年 05月 24日
旅の回想録(スロベニア・クロアチア/2006-07)続きです。
-- 2007年1月3日(YHA Zagreb / Zagreb, CROATIA) プリトビーチェ(ザグレブ)行きのバスは午前7時発で、ミラさんに言われたとおり鍵を階段のところに置き、チェックアウトした。旧市街の門の近くにあるパン屋に寄って朝食と昼の分を買う。この店実は昨夜も利用したのだが、美味しいパンばかりなのだ。バスは出発すると、アドリア海を背に坂道を上り、スプリットの街はどんどんと小さくなっていった。 峠を越えると田舎の風景になる。ところどころに雪の残るどこにもあるような、冬の田園地帯の景色だ。しかし何かが違う。はじめはそれが何なのかわからなかったが、気付いたときには愕然とした。点在する民家の屋根が、新しいか穴があいているかのどちらかなのだ。このあたりはボスニア・ヘルセゴビナの国境に近く、ユーゴスラビア崩壊の際の紛争が激しかったところらしい。ドブロブニクにも空爆の爪痕は残っていたが、人は何故こんなにも愚かになってしまうのかと思う。田舎の民家や旧市街の古い建築物が重要な軍事拠点であったということはないだろう。普通の民家が空爆の標的になる。考えてみてほしい。自分の家にミサイルが落ちてくるというということを−ひとたび「戦争」になるということは、こういうことなのだ。住んでいた人たちはどうなってしまったのだろう? 今はすっかり平和になりこうして外国人が旅行できる場所になったし、かつての敵国ボスニア・ヘルセゴビナ領土内をクロアチアのバスが通過することもできるが、国境付近の山中には今もたくさんの地雷が埋まっているのだという。そんな風景を見ながらただ悲しく、また日本でも一部のナショナリストに広がりつつある「好戦論」が恐ろしいと感じていた。 バスは空席が多かったが、途中の地方都市でほぼ満席になる。休暇を終え大都市に戻る人が多いのだろうか? 乗車時このバスが指定席制というのに全く気付かなかったので、僕の座っていた席には別の乗客が来てしまい、退くしかなかった。しかし僕が座るべき席には、大荷物の家族連れがいて、今更動くことはできない感じだった。仕方ないので空いているを席を見つけ掛ける。となり席のおじさんは、英語は話さないようだしちょっと気難しそうにも見えたが、実際はそんなことはなく、ほとんど身振り手振りで会話(?)をすることとなった。ガイドブックにほんの少し載っているクロアチア語のページを見ながら、なんとかコミュニケーションをとる感じだったが、休憩時には僕にタバコを分けてくれようとしたりとなかなかいい人のようだった。そうしている間に外の景色は、真っ白な雪国の風景に変わっていく。さっきの地方都市からさらに標高を上げたらしい。 クロアチアのバスらしく、途中のドライブインで一時間近くの運転手の昼食休憩。目指すプリトビーチェが目前なのにもどかしい感じがするが、運転手(+車掌)の休憩がきちんととられるのが、東欧らしい。乗客たちも食事をとったり、雪景色を眺めたりして休憩をとった。 ドラブインから程無い森の中のバス停で、「お前が降りるところはここだ。」と車掌から声をかけられる。慌てて下車したところがプリトビーチェだった。車掌がと教えてくれたとおりに雪の積もった小径を歩いていく。どうやら昨日のドブロブニクでの悪天候は、このあたりには大雪を降らせたらしい。冬で訪れる人も少ないのようだが、雪についた足跡を辿っていくと入り口に着いた。本来は入場料が要る(?)ようなのだが、シーズンオフなのかエントランスの窓口には誰もいなかった。そこから階段を降りていくと、青い水が透き通る湖の前に出る。ここはいくつかの湖沼が段々になって、それらが滝で繋がっているというカルスト地形の景勝地で、世界遺産にもなっている。ガイドブックによれば、そのちょうど中心の湖に出たらしい。湖のほとりの管理小屋のようなところに行って、荷物を置いておいてほしいと頼んでみると、「ここはもう閉めるから、ホテルに行ったほうがいい」と言われる。また、湖沿いのトレイルはここから上が大雪のためクローズだと言われた。何となく上部のほうを見たいと思っていたのが、ひとり雪道をラッセルしていくのは無理そうなので諦め、言われた通りにまずホテルまで行ってみる。ガイドブックにまだ載っていない新しくちょっと高級な感じのホテルで、名前は「ジェトロ」という。湖という意味なのだろうか? バックパックで場違いなところに入ってしまったと思いつつ、フロントで荷物置き場がないかきいてみると、きちんとした対応で、宿泊者用の荷物預かり部屋にしまってくれた。 身軽になって湖畔に再び下り、下半分のトレイルへと向かう。根拠も無く「下は大した事ないだろう」と思っていたが、全くそういうことはなく(思い込みが激しい...)、本当に素晴らしい風景が続いていた。魚が浮いているように見えるほど透き通った水、湖を繋ぐ美しい滝、それらを囲む雪化粧した森... 溜め息の連続だった。 そしてトレイルの終点は特に圧巻だった。段々畑状になった湖沼群が突然大きな崖になって終わり、周囲からの水を全て集めたような滝に取り囲まれたような場所に辿り着く。予想もしない風景に言葉を失い、ただただ圧倒され、その場に立ち尽くし続けた。水の風景とは不思議なもので、その中に佇んでいると、なぜか東京の知り合いについて思い出したり、昔の友人はどうしているのだろうかと考えたりした。 帰り道、一番下の湖で日本からの団体ツアーのおじさんおばさんたちと擦れ違い、挨拶すると、「よくこんなところまで一人で来なさった」と褒められてしまった。この人たちはすぐ近くにある駐車場から下りて来たらしい。ただ、こんなに大雪を想像していなかったようで(僕も同じだが...)、日が陰りつるつるになってきた雪道を「お父さん、滑って怖いわー!」と、街用のペラペラな靴を履いた関西弁のおばさんがお父さんの後ろしにがみつきながら(そのほうがよっぽど危ないと思うのだが....)、駐車場に戻っていいくのが可笑しかった。 来た道を戻りながら、ふとここは日本の森に似ているということに気付く。今まで見て来たスロベニア〜クロアチアの風景はやはりヨーロッパらしい少し乾燥したイメージがあったが、ここは水(雪)が豊かで、それらを取り囲む森も、種類は良くわからないが、ブナやナラのような木が多い感じなのだった。アドリア海からの湿った空気がこの辺りの山々にたくさんの雨や雪を降らせているのだろう。ここの水のきれいさは、豊かな森のお陰なのだと思う。「プリトビーチェは森がつくった世界遺産なのだ」とその美しい木々を見上げながら、ホテルジェトロへと向かった。 ホテルのフロントでザグレブ行きのバスの時間を尋ねると、2時間もあるということだった。写真もたくさん撮ったし、雪で靴の中が濡れてしまったので、もう歩くのは終わりにして、そのままここでで休ませてもらうことにする。仕方なく(?)ロビーのソファで寛いでいると、先程の日本人旅行者の一団が現れる。彼らの宿はここらしい。高級そうなホテルだが雰囲気は良く、美しい森に囲まれプリトビーチェの湖も見下ろせるロケーションなので羨ましい限りだ。おじさんおばさんたちに挨拶すると、「あんたはエライね」とまたも褒められ(?)、煎餅やら一口昆布やら「今朝のビュッフェで貰って来たのよ」というリンゴやオレンジまでをいただいてしまった。関西方面から方々で大変賑やかないい人たちなのである。一行のお父さんは「これから何だかわからないが、海辺の遺跡の街に訪れるらしいな」と言っていた。「スプリットかドブロブニクですか?」と尋ねると、「ああ、そうらしいな」とあまり自分の訪れるところについてあまりわかっていないのも可笑しかった。 ギフトショップを覗いたりしても、時間はまだあり困ってしまう。バックパッカーにとって高級ホテルは、やはりあまり居心地のいいものではない。事前にネットで調べてきたバスの運行表を見てみると、ホテルで教えてもらったよりも前にもあると書いてある。ダメもとと思い、早めにバス停に行ってみる。すると、日も落ちすっかり冷え込んできたバス停には、ほぼ時刻通りにザグレブ行きがやってきたのであった。 バスが雪国の国道を突っ走っている間、濡れた靴と靴下を脱いで良く眠った。3時間ほどしてザグレブあたりまでやってきて目が覚めると、いつの間にか外の雪はなくなっていていた。 ザグレブの街はさすがにクロアチアの首都らしく、かなりの大都会のようだった。同じ首都でもリュブヤーナとは規模が全然違う感じだ。巨大なバスターミナルからトラムに乗り、中心街へと向かう。やはり巨大な建物の中央駅の前で降りると、今度は大きなな広場があるのだった。ガイドブックを頼りに、YHA(ユースホステル)のあるエリアまで歩いてみる。このあたりはホテルも多く「旅の最後だし、宿はやはりホテルにしようか」とYHAの前でちょっと考えていると、丁度通りかかった日本人旅行者に挨拶される。彼はとなりのベストウェスタンに部屋をとっているそうなのだが、「ここのYHAも悪くないですよ」と教えてくれた。フロントで個室が空いているか尋ねてみると、あるということなので、気楽なそちらにチェックインすることにした。 ベストウェスタンに泊まっているという旅行者は、Nさんという人で、何か話が合いそうなので、夕食でも一緒に食べましょうということに。「僕はザグレブに何度も訪れていますので、案内しますよ」と言ってくれた。こうしてまたしても素晴らしい案内人(?)に出会うことができ、僕の気まま旅は天気以外は割とラッキーの連続なのであった。Nさんは学生時代から中東欧に訪れていて、その中でも特にクロアチア・ザグレブがお気に入りなのだと言っていた。 “ナイトウォークツアー”といった感じで旧市街を中心にいろいろと案内してもらった。聖母被昇天教会、奇蹟のマリア像、聖マルコ教会、カフェ通り、ニューイヤーライブで盛り上がっているダウンタウンの広場、街を見下ろす展望台など、通常の観光で訪れるところから穴場まで、実に効率良くまわれてしまう。しかもお薦めの食事処まで連れて行ってもらい、夕食をとりながら乾杯したのだった。N氏は明日の朝早くザグレブを発ち、ドイツ方面に向かうと言っていた。そして僕も明日の午前中には帰路につく。観光客よりもむしろ地元の人がほとんどで賑わっている店で美味しいビールに酔い、旅談議はさらに盛り上がっていった。 帰り道、街の中心の広場でやっているニューイヤーライブの出演者がアメリカの有名なバンド“Kool & the Gang”であることに気付く。確か僕が高校生の頃(MTV全盛期)にも大ヒットを飛ばしていて、自分にとっては洋楽に触れ始めた頃のスターバンドのひとつであった。しかし人生というのは本当に不思議と思う。ふとした偶然から無精髭男やNさんのような人に出会ったり、憧れのアメリカのバンドのライブをなぜか東欧の街で見る事になったりする... Nさんは“Kool & the Gang”については知らないようだったが、ザグレブのたくさんの観衆とともに◯十年以上たっても全く変わる事ない彼らの“クール”なサウンドに酔いしれた。
by backpacker_f
| 2007-05-24 06:13
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