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2007年 05月 06日
旅の回想録(スロベニア・クロアチア/2006-07)続きです。
-- 2007年1月2日(SOBE Mrs. Mira? / SPLIT, CROATIA) 「ドブロブニクに訪れることが、ここ数年の夢だった」割には、滞在は一泊のみで去るというのは夢に対して実に失礼ではないか!と思いつつも、金ない時間ない旅なので仕方なく「はい次!」なのである。しかも、たった一日のドブロブニク観光はなかなかの悪天候に恵まれてしまったであった。 海を眺めるテラスでパンを齧り朝食として、隣が起きたらしいのを見計らってノックしてみる。昨夜のプジョー男によれば、隣室には日本人の長期滞在者がいるということだった。出て来たのは30代くらいの人の良さそうな無精髭の男性で、挨拶し見所など教えてほしいと尋ねてみると、「暇なので旧市街を案内しますよ」と快く応えてくれたのだった。 荷物をまとめ、家主のおばさんのところ(1階)へ行く。無精髭男によれば「コーヒーを入れてくれるから、そこで待ち合わせしましょう」とのことだった。彼はプジョー男と話しながら待っていてくれていて、宿のおばさんはコーヒーを入れてくれた。(豆ごと煮込むトルキッシュスタイルで、なかなか美味しかった。)プジョー男はおばさんの息子さんで、二人とも本当にいい人で安心する。プジョー男は観光タクシー、おばさんは宿の担当と決まっているらしい。おばさんは英語は全く話せないが、「帰りにまた寄りなさい、今度はワインを入れてあげるから」と言っているとプジョー男が教えてくれた。 無精髭男と旧市街へ(この時点ではまだ雨は降っていなかった)。せっかくだからと、裏道で案内してくれた。地元の人しか知らないような路地を抜けて海岸に出ると、ドブロブニクがアドリア海に突き出た都市であることがよくわかる。彼はここに滞在してもう二ヶ月くらいになるという。住人のように詳しいので、滞在時間が短い僕には本当にありがたい案内だった。海岸から階段の坂道を上り、今度は旧市街全体を見下ろせる高台へ。オレンジ色の屋根が寄り添う街は美しいのだが、これで晴れてくれていればと思う。「冬はこんなふうに天気が悪いのですか?」と訊いてみると、「むしろ晴れの日のほうが多いけど、なぜか他の日本人やってくる時に限って、天気悪くなるんですよー」と笑った。そんな話をしながら街を見下ろしているうちに、雨が落ち始める。最初は小降りだったのだが、だんだんと強くなってしまい、とにかく雨宿りするために旧市街に戻る。城壁の中に戻る頃にはちょっとした嵐のようになってしまって、「せっかくの憧れのドブロブニク観光がこれでは...」とがっかりするより、むしろ呆れて笑ってしまいたくなるほどの荒れようなのだった。そんな中でも古い教会をいくつかまわったりしていたのだが、さすがに諦め、昼食をとるためにイタリアンレストランへ。 (↑色が出ない程の悪天候でした...というウソで、何となくモノクロ処理した写真ばかりになってしまいました。) ドブロブニクの旧市街も素晴らしいものだったが、ここに住んでしまっている無精髭男の話も興味深いものだった。何故ここに住むようになってしまったのかとか、それまでやっていた仕事の話など、ワインを飲みながらの興味深い話は尽きなかった。話をしながらも少しは止んでくれないかと外をちらちらと見たのだが、雨はむしろ強くなる一方で、本来はこの街最大の観光スポット・城壁の上の散策路一周に行きたかったのであるが、さすがに諦めるしかなく、無精髭男と気持ち良くワインを空け、酔っ払って旧市街を後にしたのであった。(そんな訳で、ドブロブニクの観光情報を期待して読んでいただいた方、全く参考にならず申し訳ありませんでした...) ところが、なのである。旧市街の門を抜け、再び無精髭男お薦めの裏道を歩いて宿へと向かっていくと、次第に雨が止み、晴れ間さえ出来はじめる。濡れたアスファルトにも日が射し始め、無精髭男と「何なんだろうね!」と旧市街を振り返ると、空に虹まで出ていて、互いに大笑いした。正に「人生こんなものなのである」なのだ。 宿に戻ると、おばさんはさっき言っていたとおりトルキッシュコーヒーと自家製ワインを入れてくれた。凄い組み合わせなのだが、雨に濡れた体が温まるし、何よりもてなしが嬉しかった。プジョー男はスプリットの知り合いの宿に連絡をとってくれて、今夜の部屋の予約をとってくれた。無精髭男と住所交換などしているうちにバスの時間が訪れる。玄関まで送ってくれた無精髭男は、あとひと月ゆっくりここに住んで、これからのことを考えたいと言っていた。天気は恵まれなかったが、人や宿には本当に恵まれたドブロブニク滞在なのだった。 (↑アドリア海を眺める無精髭男、プジョー男と宿のおばさん。本当にありがとうございました。) 約4時間のバス旅の後、スプリットに到着する。昨日通り過ぎたところに戻ってきた訳だ。バスを降りるとプジョー男から連絡を受けたというミラという女性が待っていてくれた。彼女が経営するSOBE(民宿)は歩いて5分程のところにあり、プジョー男の紹介ということもあり、またユースと同じ料金で泊まれることになった。道路に面していて、外の音が少しうるさいのが玉にキズだったが、清潔な個室だったし、とにかく安く、探しまわらずに済んだので、文句は全くないのである。ミラさんは隣の部屋にお母さんと一緒に住んでいて、旦那さんは出かけているが船員で日本に行ったこともあると言っていた。 スプリットの街を歩く。この街は中継地点くらいにしか考えていなかったが、世界遺産に指定されている程の古い都で、想像以上に美しい旧市街があった。城壁の中には神殿があり、それを囲むように石畳の狭い路地の旧市街が迷路のように続いている。どの通りもきれいで、それぞれに異なるイルミネーションが点灯されていた。誘われるように路地から路地へと廻り、何枚もシャッターを切る。千年以上の歴史を持つという都は、長い時間と人々の往来によってなのか石畳は輝くほど磨かれている。この道をマルコ・ポーロ(クロアチア出身という説があるらしい)も歩いたのだろうかとなどと考えながら、随分遅くまで光の街に迷い込んだ蛾のように路地を彷徨っていたのだった。 (たくさんアップしてしまいました。石畳の磨かれ具合がわかりますでしょうか?)
by backpacker_f
| 2007-05-06 07:51
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